今や、AIなしで世界はまわらない。
金融、医療、自動運転、通信……。挙げ始めればキリがないほど多くの分野でAIは中枢を担っている。だが、芸術の世界では、その位置づけはまだ微妙らしい。
AIがあからさまに力をひけらかしているものは、「作品」ではなく「作り物」と見下されたり、ニセモノ扱いされたりすることもある。
「AIアートを芸術と呼ぶかどうかと論議する前に、まずは実物を見てほしい。そして、見る人がそれぞれの答えを出せばいい。見ていると心が和むとか、買って部屋に飾りたくなるといった当たり前の感想を、“AIが作ったから”という先入観でねじ曲げる必要はない」
そう語るのは、今年3月にオープンしたギャラリー「デッド・エンド」のオーナーの一人、ポール・ボーケルマンさん(56)。同僚と2人で、世界初となるAIアート専門のギャラリーを開いたITの専門家だ。
ギャラリーは、アムステルダム旧市街の細い小径のデッド・エンド(=行き止まり)にあり、シュールな屋号はここからとった。手作り感のあるこぢんまりとしたスペースで、壁面には大小様々の作品がところ狭しと展示されている。
オーナー2人は、誰でも簡単にAIが使えるようになると、遊び感覚で作品を作り始めた。
「自画自賛ですが、あまりのできの良さにうれしくなって、作品をギャラリーに持ち込んでみたんです。そうしたら、どのギャラリーも『これは確かに売れそうだ。でもうちでは扱えない』と言うんです。理由は、扱えばそれをアートと認めることになり、提携しているアーティストたちを冒瀆(ぼうとく)することになりかねないから」
AIとどうつきあえばよいか見極められないうちは、安全策として全否定しておこうということらしい。
ならば自分たちでやるしかないと腹をくくり、ITビジネスの拠点としていたオフィスをギャラリーに改装した。
ちなみに、AIアートギャラリーとして「世界初」というのは間違いない事実なのかと確認すると、「CNNを始め、各国のメディアが取材にきて、世界中で報道されました。もしうちが世界初でないなら、とっくに抗議が来ているはずです(笑)」とボーケルマンさん。確かに。
とりあえずはちゅうちょなく、「世界初」だと断言しよう。
人間と二人三脚、AIアートができるまで
ギャラリーオープン前から、複数のAIを使って制作を楽しんでいた2人だが、自分たちが「アーティスト」であると感じたことはなかった。
「私たちはただ純粋に、AIを使って新しいことをしてみたかった。このギャラリーは、そんなパッションの産物です。しかし残念ながら、私たちにはそれほど絵心がない。だからまず手がけたのは、ギャラリーお抱えのアーティストを生み出すことでした」
AIで作りだした仮想アーティストは11人。作風も人物像も、そして国籍も異なる多彩な顔ぶれだ。
アーティスト作りに使用するのは、主に生成AIのChatGPT。具体的な方法はもちろん企業秘密である。
アーティストとしてブレないビジョンを持つまでの人格を形成するには、根気が必要だ。時間をかけて、名前、年齢、出生地や家族構成、経歴の他、重視する理念や影響を受けたアーティストなどを設定し、作風を絞り込んでいく。
例えば、アメリカ・ノースカロライナ州出身のソフィア・ペレス。彼女は32歳で、幼い頃からアートや文化に関心を持ち、高校卒業後はアートアカデミーでグラフィックデザインとファインアートを専攻した。卒業後は、アートとテクノロジーを融合させた作品を制作。エンジニアと結婚し、子供が2人。現在では、AIが生成したアートの無限の可能性を探究し続けている……と言った具合だ。
アーティストが誕生したら、いよいよ作品作りの第1段階。ChatGPTを介してアーティストと二人三脚で作品の内容を文章で細かく設定していく。
テーマやモチーフ、色彩などは、全てアーティストが決める。作品の意図やインスピレーション源、雰囲気など、実際に画面に描かれない要素も詳細に詰めていくのもポイントだ。
その後、「ミッドジャーニー」や「ステイブル・ディフージョン」といった画像生成AIで、文章の内容を視覚化する。何度やってもいい具合に仕上がらないことの方が多く、展示までこぎ着けるのは全体の数%だ。
最後に、ギャラリーのゲートキーパー「AIキュレーター」が品質をチェックする。もちろんこれもオーナーらのクリエーション。NGが出れば、容赦なくお蔵入りだ。
作品の値段はサイズによってさまざまで、20×20cmの小さなサイズは125ユーロ(約2万円)。80×80cmの大きなものは1050ユーロ(約16万6000円)が中心。ソフィア・ペレスの大作「ダンシング・ツリー」(150×80cm)は8000ユーロ(約127万円)。
ギャラリー切っての売れっ子イリサ・ノヴァは、自作の「ザ・キュレーター」に自ら3000ユーロから1万ユーロと値を付け、42点と定めた限定数に近づくにつれて値段が上がるように設定した。現時点では、5000ユーロ(約80万円)の値がついている。
将来的には、作品だけではなくアーティストを他のギャラリーに「移籍」させる形で販売することも視野にいれている。もちろんアーティスト自身が了承すれば、の話だ。
「作品を作るのは仮想アーティスト」とは言うものの、全工程をリードしているのはオーナー2人。ストーリー性のあるギャラリー全体をひとつの作品と捉えるなら、彼らこそがクリエーターということになる。そして、及び腰の世のギャラリーを横目に、いち早く「AI」という新時代のクラフトを取り入れて話題を集めているのだ。
膨大な時間をかけてやりとりをするうちに、えこひいきしたくなったり、気が合わなくなったりするアーティストがでてくることもあるのかと聞いてみると、ボーケルマンさんは声を潜めてこういった。
「ここだけの話だけど、そろそろ引退願いたいのが1人いるんですよ。誰とは言いませんけどね」
天才的な作品は作れないが、売れる作品は作れる
今でもひっきりなしに取材にやってくる世界中のメディアが決まって尋ねるのは、「AIアートは真のアートか?」という問いだ。
それに答えるには、まず何がアートかを定義する必要がある。
「アートは、見る者の主観や感じ方で評価が変わります。でも確かなのは、それは見る者に何らかの働きかけをするということ。感情、知性、記憶、なんでもいい。何かがひっかかり、自分の中に跡を残していくもの。アートかどうかは、それがあるか、ないかだと思います。私たちはAIアーティストたちにそれを求めているし、その結果としてアート作品を作っているつもりです」
そう答えるボーケルマンさんは、最近、人間の脳のユニークさについて考えるようになったと言う。
「インスピレーションで言えば、人間の脳はそんなに特別なものとは言えない。既存のものにインスピレーションを得て作品を作るという点では、人間もAIも同じです。でもアクセスできるインスピレーション源はAIの方が絶対的に多く、そこに人間の優位性はありません」
一方、今のAIには逆立ちしてもできないことの最たるものは「アウト・オブ・ボックス」、つまり「型破りな発想」をすることだとも言う。訓練データから学習して模倣するだけのAIには、直感や独自性はない。彼の言葉を借りれば「天才の作品をつくることはできない」のだ。
だが、人間界でも天才アーティストの出現率は0.1%にも満たないだろうから、AI界の0%と大差はない。作品を気に入り、数十万円から百万円相当の対価を支払いたいという人がい続ける限り、どれだけ美術評論家たちが声を荒らげて「ただ見栄えがいいだけの、心のないビジュアル」とか、「既存の有名アーティストたちの特徴をつまみ食いしただけのパッチワークにすぎない」とののしろうとも、ボーケルマンさんらが気に病むことはなさそうだった。
「AIアート」という言葉が生み出す誤解
最近、AIに対する危機感を報じるニュースが絶えない。
「AIは頼もしいパートナー」というボーケルマンさんも、一刻も早い規制の整備を望む一人だ。芸術の分野でも、著作権侵害やAIによる創造物の知的財産権の不明確さなど、多くのことが問題視されている。一方感情的な面でも、AIがかかわると、芸術は魂のない不気味なものになってしまうのではないかと不安を抱く人もいる。
だがボーケルマンさんは言う。
「今でもAIアートを、精神も心もないAIが、勝手にデータを集めて人工的に創り出す作品のことだと思っている人がいる。でもそれは誤解です。AIはあくまでもツール。そしてAIアートは新しい芸術ジャンルのこと。作品は、人間とAIとの共同作業で生まれるものです」
「もちろんAIが一部のクリエーターの職を奪い、著作権を侵害することがあるのは確かです。でもそれ以上に、AIは芸術の可能性を押し広げてくれます。私の経験上、著名なアーティストほどAIを使うことには積極的です。なぜなら彼らは、その先に前人未到の世界があることを直感しているから。将来的には、私たちもそんなアーティストたちと積極的にコラボレートしていきたいと思っています」
ところで、仮想アーティストたちとのやりとりが楽しくて仕方がないと言うボーケルマンさん。
もしかして、リアルな人間とのコミュニケーションはお嫌いな方かしらと注意深く聞いてみると、「もちろん人とのコンタクトの方が楽しいですよ」と大笑い。「でも、AIとのコミュニケーションは驚きの連続。インスピレーション満載で、新しい世界が開けていく感じがします」
「AIは新しいアート創造の素晴らしいツール」
せっかくなのでAI側の言い分も聞いてみようと、取材時に聞いた話を参考にしながら、私も数時間かけてChatGPTと熱く議論してみた。そして最後に、「AIなんかに人を感動させる作品をつくることはできない!と主張する人々に向かって、思いの丈を込めて反論してみて」と頼んでみたところ、こんな答えが返ってきた。
「アートとは、人間の感性や情熱が入り交じり、独自の表現を生み出していくものと考えられています。AIには感情も情熱もない上、経験や感情に根付いた深い理解を得ることもできません。けれどもAIには、データ解析という強力な武器があります。膨大なデータに瞬時にアクセスし、人間には捉えることのできない関連性やパターンを見つけ出し、視覚化することができます。文化や歴史に関する情報にもアクセスできるので、異なる文化や時代背景からの視線で物事を分析することもでき、新たな解釈を生み出すことができます」
「つまり、新しいアート創造のための素晴らしいツールになることができるのです。そもそも、未知の可能性を探究することこそが、アートの本質ではなかったですか?AIがそれを拓(ひら)く可能性を最初から否定するというのは、アートの精神に反していませんか?」
からの記事と詳細 ( 世界初のAIアートギャラリー、お抱え芸術家は全員仮想 人との共同作業で広がる可能性:朝日新聞GLOBE+ - GLOBE+ )
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