政権に運命を翻弄され続けるロシア音楽。その音色はいつの時代も、人々の心に力強く響く。
10月のある日、いつものようにフェイスブックを開くと、タイムラインに「ワグネル」という曲のURLリンクが表示された。
ウクライナ侵攻後、ロシア国内ではフェイスブックは遮断されており、VPN(仮想プライベートネットワーク)を用いないとアクセスできない。だからロシア語の投稿はめっきり減っている。だがなくなったわけではない。在外ロシア人もいれば、少数ながらいまも国内から投稿し続ける猛者もいる。「ワグネル」は、ロシア国内からの投稿だったように思う。
軍人のシルエットを示した勇ましいサムネイルに続いて、動画と曲が流れる。ミサイルやヘリ、銃を構える兵士たちによる戦闘シーンのコラージュに、廃虚でチェロを弾く兵士たちの姿が交ざる。「戦争の楽団員たちは/一斉砲撃のオラトリオに夢中」から始まる歌のサビは「さあワグネル、演奏を!/楽団員たちを盛り上げて/弦を軽やかに操って/われらがロシアの民間軍事会社」。女性ボーカルの力強い歌声とともに、「絶望」が押し寄せてくる。
傭兵への「応援歌」
ワグネルは、作曲家リヒャルト・ワグナーの姓のロシア語読みだ。現在のロシアでは、その名前は戦争と不可分に結びついている。「ワグネル」とはロシアの民間軍事会社の名称。この曲は、なんと民間軍事会社の応援歌だったのである。
曲中では、ヒトラーが好んだとされるワグナーの楽劇「ワルキューレ」などへの言及もあり、オーケストラの演奏と戦争を重ね合わせている。歌っているのはヴィーカ・ツィガノワ氏(1963年~)。「ルースキー・シャンソン」という、演歌とフォークが混ざったようなジャンルの歌手である。もともと愛国者で、2014年のロシアのクリミア侵攻も積極的に応援している。生い立ちをみると父親が海軍の軍人だったようだ。
民間軍事会社とは、その名の通り、民間で傭兵(ようへい)を雇って戦地に送り込む組織である。ワグネルの傭兵たちはこれまでクリミア侵攻やウクライナ東部戦線に参加し、シリア、アフリカなどで活動してきた。他方、プーチン大統領はクリミア侵攻や2月24日以前のウクライナ東部戦線へのロシアの関与を否定してきた。だから、ワグネルはずっと非公認のままだった。
だが、戦争が始まって、ワグネルの存在はどんどん可視化された。ロシアの街角にはワグネル人員募集の広告が現れた。創設者のオリガルヒ(新興財閥)、エフゲニー・プリゴジン氏が自ら監獄に行って、囚人をワグネルにリクルートする動画がネット上に流れた。そして、ついにこの9月、プリゴジン氏は14年にワグネルを創設したことを認めた。11月にはロシア第二の都市サンクトペテルブルクに「民間軍事会社ワグネル・センター」というオフィスビルがオープンした。非公認だったワグネルは、同名の応援歌とともに合法化されたのだ。
14年以降、ウクライナのドンバスやクリミアでは、地元民支援のためのコンサートが多数実施されている。愛国作家・政治家・ラッパーのザハール・プリレーピン氏(75年~)は、そうしたコンサートを組織している一人だ。また、人気愛国歌手のオレグ・ガズマノフ氏(51年~)は22年9月にウクライナのロシア占領下のイジュームで、11月にはヘルソンでコンサートをするはずだったが、いずれもウクライナ軍の反撃を受けて取りやめになった。クリミア侵攻翌年にガズマノフ氏がリリースしたミュージックビデオ「進め、ロシア!」には、戦車や戦闘機や軍人、オリンピック選手や「熊」とともに、プーチン大統領の映像も登場している。ロシアの強いものを集めたのだろうか。14年以降、ポップミュージックの世界でも戦争の表象は増えていった。
若いポップシンガーにも愛国者はいる。7月に新曲「ぼくはロシア人」をリリースした歌手、シャーマン(Shaman)氏は91年生まれ。サビで「骨の髄までロシア人」とうたうこの歌は、ユーチューブ公式チャンネルで2000万回以上(11月時点)再生されている。また、侵攻前日の2月23日にリリースされた「立ち上がろう」は、戦いの中で倒れた兵士の記憶を歌った甘美な曲で、戦争の気分と相まって人気を集め、再生回数は3295万回に達した。シャーマン氏は美しく伸びのある声と金髪ドレッドヘアの端正なルックスの持ち主で、若い女性に抜群の人気を誇る。
兵士の母の悲しみ歌う
同じポップミュージック界でも、反戦の立場をとる人もいる。
その一人が国民的歌手のアーラ・プガチョワ氏(49年~)である。加藤登紀子氏の「100万本のバラ」の元歌を歌っているソ連時代からの人気者だ。
プガチョワ氏の夫で人気コメディアンのマクシム・ガルキン氏(76年~)は侵攻直後からこの戦争を批判しており、9月には政府から「外国エージェント」に指定された。「外国エージェント」とは、国が組織や個人に対して、外国とつながりがあるスパイあるいはスパイ予備軍であるというレッテル貼りをするものだ。プガチョワ氏はそれまで沈黙を貫いていたが、夫を外国エージェントに指定するなら自分も同じように指定せよと発言した。結局、プガチョワ氏は子どもたちと共にロシアを出て、イスラエルに移住した。ガルキン氏は4月に一足先に国を出ている。
既に国外に出ていた反戦知識人たちは、プガチョワ氏の行動にエールを送った。ほどなくして、彼女がロックの大御所である「マシーナ・ブレーメニ」のアンドレイ・マカレーヴィチ氏や「アクアリウム」のボリス・グレベンシコフ氏(ともに53年~)、少し下の世代のゼムフィーラ氏(76年~、本名ゼムフィラ・ラマザノワ)ら、別のジャンルの歌手たちとともに仲良く写ったプライベート写真がネット上に流れた。以前なら考えられない組み合わせだ。ロシアではエストラーダ(ロシア式歌謡曲)とロックでは明確なすみ分けがあり、テレビやコンサートで同席することはほとんどないからだ。
もちろん、ロシアに残ったミュージシャンも少なくない。戦争に関する発言をせずにいる人も多い。反戦を表明すればブラックリストに加えられ、国内でコンサートができなくなる。それどころか、拘束されてしまう恐れもある。そのため、ストレートな詩を歌うことが難しくなった。
そんななか、人気グループ「DDT」のユーリー・シェフチューク氏(57年~)は5月のコンサートで「なぜウクライナ人が殺され、ロシアの若者が死んでいくのか」と反戦を表明。発言に対して罰金を科され、国内でコンサートを行うことも難しくなったが、それでもロシアに残り続けている。
また、フォークデュオ「イワシ」の10月のコンサートも特筆に値する。イワシのひとりはウクライナ系、もうひとりはウクライナ生まれである。彼らは実は、愛国ミュージカル「ノルドオスト」の作者でもある。このミュージカルを巡っては、02年にモスクワの劇場で上演中に、テロリストたちがチェチェン戦争即刻停止を訴えて、出演者や観客を人質に立てこもる事件があった。この事件で多くの人々が犠牲になっている。
彼らが戦争に対して複雑な思いを抱かぬわけはなく、コンサートではそのことがユーモアを交えつつも率直に語られた。コンサートはその後、観客の感想とともにユーチューブにアップされた。SNSを見ると、この動画は普段イワシの音楽を聴かない層にもじわじわと広がり、人々を勇気づけているようだ。
反戦を直接に口に出さずとも、厭戦(えんせん)気分を伝えている人々もいる。前衛的な音楽グループのショートパリス(Shortparis)は、リンゴの散らばる雪原で退役軍人のコーラスが広がりゆく悲しみを歌う「りんごの園」のビデオを、侵攻後間もない3月にユーチューブで配信。6月にはあたかも兵士の母に呼びかけるかのような「おお、ママがどれだけ願っていたか」を公開した。歌詞は、「兵士」「砲弾」「殺した」など戦争に関わる言葉が交ざりつつも抽象的なのだが、悲しみにあふれる旋律や、親と別れた子どもたちが登場する映像とあいまって、心に強く訴えかける。ボーカルのニコライ・コミャーギン(87年~)は5月のインタビューで「国に残る人々と共にありたい」と語っていた。
音楽はメッセージや気分を伝えるのに適したメディアである。だからプロパガンダに利用されるが、戦争反対派も同じ音楽という武器を用いて戦っている。国内外に散らばる反戦のミュージシャンたちが、いかにあらがい、生き残っていくか、追い続けていきたい。
(上田洋子、ロシア文学者・出版社ゲンロン社長)
週刊エコノミスト2022年12月27日・2023年1月3日合併号掲載
ロシアの闘う現代アーティスト 愛国と反戦をうたう分断された音楽界=上田洋子
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