2022年にハフポスト日本版で反響の大きかった記事をご紹介しています。(初出:1月23日)
だが、絵本制作や詩の創作などいわゆる芸術分野への転身は珍しい。“会社員”として生きるのを辞めて「自分の心に正直に生きられるようになった」と話す彼女の新たな挑戦について聞いた。
安住アナからの言葉に支えられた。それでも感じた「違和感」
ドイツで生活を始めてからしばらくは、語学学校に通った。今は創作活動に勤しんでいる。
絵を描くことは幼い頃から好きだったが、学生の頃にはアナウンサーを志望し、縁あって2016年にTBSに入社。しかし、入社からまもなくしてすでに自分の中に「違和感」があったと伊東さんはいう。
「アナウンサーに向いてないかもしれない」というのは自分自身で感じていました。
研修の頃だったかもしれません。先輩の安住紳一郎アナウンサーに「私は(この仕事に)向いてないと思います」と伝えたら、「向いてないって思うってことはその職業と向き合いたいと思っているということだから、向いているんだよ」という言葉を返されて。その言葉で改めて頑張ってみようと思ったんです。
振り返ると入社した当初から、アナウンサーとして「期待に応えなければいけない」とか、「何かしら会社にしっかり貢献しなきゃいけない」と強く思っていました。いわゆる、人が求める“アナウンサー像”を意識して、それに向かって日々頑張っていたら精神的にギリギリになってしまった。一度、当時帯で担当していた番組などを降板しました。
もちろん、アナウンサーの仕事をしていたからこそ出来た経験があり、出会えた人がいる。そのことには感謝をしつつも、一方では息苦しさのようなものを感じて、辛かった部分がありました。
「絵を描くこと」に救われた。きっかけは突然だった
伊東さんにとって、日々の仕事で荒んだ自分を救ったのが「絵を描くこと」だった。元々好きだった絵を書くきっかけは、ある日突然のように訪れる。
入社して3年目、当時放送していた中居正広さん司会のバラエティ番組『中居くん決めて!』の中で、ある日、出演者の似顔絵をホワイトボードに即興で描く役割を任されたんです。本来のアナウンサーのような役回りじゃなくてもこれも立派な仕事だと思って。そこから仕事が終わると毎日のように絵を描き始めました。
一人のアナウンサーとしてはもっと他のことを努力した方が良かったのかもしれませんが、仕事からどんなに遅く帰ってきても習慣になるくらい、気がつけば絵を描いていました。
仕事をする中で抱える葛藤や自分の感情をそのまま絵に反映することが出来て、ストレスを発散できる唯一の大切な手段になっていましたし、何よりも自分が無心になれるものに出会えたということも幸せだなと感じていました。
その頃から、「もしかして自由に自分らしく生きられる場所は他にあるのかもしれない」と自分でも深く考えるようになったんですよね。中居さんは番組で私のはみ出したような発言を沢山拾って受け止めてくれましたし、別の番組でご一緒していた伊集院光さんに「堅い枠にはまって生きるようなタイプじゃないじゃん」と自分自身を肯定してもらえたことで気持ちが随分と楽になっていきました。
そこから、絵を描くことや詩を書くことなどを含め、創作活動を仕事にしたいという気持ちが日に日に強くなっていったという。
安住アナから「アナウンサーとして大成する姿が見たかった」と言葉をもらったが、自身の気持ちに迷いはなかった。2021年2月、思いを形にするために伊東さんはTBSを退社した。
「幸せすぎて描けなくなって」海外に拠点を求めた理由
会社を辞め、自由に創作活動に集中できる環境を手に入れた伊東さん。2021年10月からドイツに生活と創作の拠点を移したが、ドイツを選んだのは直感だったという。
なんとなく英語が通じる国がいいなとは思っていましたけど、実際に住むようになるまでヨーロッパは旅行でしか訪れたことがなく、実はドイツには行ったこともなかったんですが、元々興味もあったので、思い切って生活の拠点にしてみたんです。
あくまでもまだ住んで4ヶ月目の印象としては、生きやすいです。移民を含め、様々な国籍の人が共生しているからでしょうか。自分が思っていたよりも偏見が少ないなと感じています。自分の周りの人たちも、私のことをフラットに見てくれる印象があります。
からの記事と詳細 ( 「アナウンサーを辞めてもったいないね」の言葉に思うこと。海外でアーティストに転身、元TBSアナ伊東楓さんの今【2022年回顧】 - ハフポスト日本版 )
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