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Monday, June 3, 2024

1人の現代アーティストから始まった、「アートのまち・別府」の20年 - 日経BP

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大分県別府市と言えば何はなくとも温泉だが、近年は「アートのまち」として認知度が高まっているのをご存じだろうか。2004年。1人の現代アーティスト(山出淳也氏)が別府にやって来たことから始まったプロジェクトは、およそ20年を経てまちづくりの中核を担うまでになった。その過程と効果を、功労者である山出淳也氏や自治体への取材から浮き彫りにする。

たった1人が起こしたムーブメントが発端

別府市(べっぷし)

別府市(べっぷし)

大分県の東海岸のほぼ中央に位置し、人口は約11万2000人(2024年4月現在)。市内には「別府八湯」と呼ばれる8つの温泉エリアが点在し、古くから日本を代表する温泉地としてにぎわう

 人口約12万人の別府市は、国内外から年間800万人以上の観光客が訪れる日本を代表する観光都市である。市内各所に個性の異なる温泉地があり、山間部の鉄輪(かんなわ)・柴石(しばせき)エリアにまたがる「別府地獄めぐり」はつとに有名だ。2000年には市街地と別府湾を臨む山の上に立命館アジア太平洋大学(APU)が誕生し、世界106カ国・地域から海外の学生が集うなど、より国際色を強めている。

 そんな別府市のまちに新たな魅力を加えているのが、アートを軸にしたまちおこしの取り組みだ。市制100周年を迎えた2024年4月、長野恭紘市長は記念式典の式辞で「『アート(art)のまち』としても、国内外に別府(Beppu)の存在を知らしめています」と語った。市のトップが認めるほど、アートは別府市の新たな魅力に成長したのだ。

 別府市のアート×まちおこしの取り組みは、たった1人が起こしたムーブメントがすべての始まりとなっている。別府市の隣、県都・大分市に生まれた現代アーティスト、山出淳也(やまいで・じゅんや)氏がその人だ。1990年代前半から海外で国際的なアーティスト活動を行なっていた彼が日本に戻るきっかけは、1本のニュース記事だった。

別府市をアートのまちに押し上げた立役者の山出淳也氏。1970年、大分市生まれ。高校時代にたまたま目にしたドキュメンタリーに影響を受け、現代アーティストの道へと進んだ。2022年までBEPPU PROJECT代表理事を務め、現在は新会社「Yamaide Art Office」を率いている(写真:小口正貴)

別府市をアートのまちに押し上げた立役者の山出淳也氏。1970年、大分市生まれ。高校時代にたまたま目にしたドキュメンタリーに影響を受け、現代アーティストの道へと進んだ。2022年までBEPPU PROJECT代表理事を務め、現在は新会社「Yamaide Art Office」を率いている(写真:小口正貴)

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 「2000年代の初め、文化庁在外研修員としてパリに滞在していたときに『市民の有志が別府市の路地裏散策ツアーを企画している』というネットニュースをたまたま目にしたんです。大分市出身の僕にとって別府の温泉は“ハレの場”で、子どもの頃に感じた活気がどうなっているのかも気になりました。老若男女が楽しむまちに、いろんなアーティストが集まれば面白くなるのではないか。そう思い、在外研修員の任期後の2004年に別府市を訪ねました」(山出氏)

 山出氏は「アート界のマネーゲームに巻き込まれている違和感があった」と当時を振り返る。さらに自分の存在が忘れられないために、アート界のどこに所属すればいいのかを無意識のうちに考えてしまう居心地の悪さを感じていた。

 「正直、どのように振る舞えばいいのかを考えることがばかばかしくなっていました。でも(ネットニュースの)記事に登場する人たちは生き生きとしていて、自分たちにイニシアチブがあった。それがすごく羨ましく思えたことも帰国した理由の1つです」(山出氏)

 山出氏はまず、「4年後に別府市で大々的な芸術祭を開催する」ことを目標に掲げた。日本に戻ってきた時点ではほとんど人脈はなかったが、たまたま別府市役所の職員に知り合いがおり、次々と紹介を受ける幸運に恵まれた。ちなみにその職員は、大分市でアーティスト活動をしている頃から展覧会を見に来ていた顔見知りだったそうだ。

 その情報をもとに市内のキーパーソンに計画を持ちかけるも、「アートって何?」という状態でどこに行っても警戒された。だが一人だけ、市内でホテル業を営む「ホテルニューツルタ」代表取締役の鶴田浩一郎氏が面白がってくれた。

 「もしかしたらうまくいくかもしれないねと認めてくれたのがすごく嬉しくて。なぜ信用してくれたのかと聞いたら、『君は最初から4年後に実現する企画書を書いてきた。代理店やコンサルが持ち込む企画だったらそこまで待たずに金をかき集めてすぐにやろうとする。最も気に入ったのは、別府市に暮らす素人集団が一緒にプロジェクトを育てていく内容だった』と話してくれました。補助金の申請なども一から教えてもらい、それまでアートの世界しか知らなかった僕を社会人としても鍛えてくれた。鶴田さんは僕にとってまちづくりの師匠と言える存在です」(山出氏)

ホテルニューツルタの壁に描かれた壁画は画家・国本泰英氏の作品(写真:小口正貴)

ホテルニューツルタの壁に描かれた壁画は画家・国本泰英氏の作品(写真:小口正貴)

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 それ以降は徐々に仲間が集まり始めた。2005年には市民有志が中心となって任意団体の「BEPPU PROJECT」を創立し、翌2006年にはNPO法人化。山出氏は代表理事に就任した。

 そこから次々とまちを巻き込んでイベントを手がけていく。2006年11月にはアートの価値を社会にアピールするNPO、アートNPOリンクが手掛ける「全国アートNPOフォーラム」を誘致(アートNPOリンクと共催)、2007年10月には国際シンポジウム「世界の温泉文化創造都市を目指して」(協働主催:別府市中心市街地活性化協議会)を開催、地域におけるアートや文化活動の意義を啓発していった。

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