ー レクチャーパフォーマンスを中心に活動している作家というのは日本では珍しいと思うのですが、どのような経緯でレクチャーパフォーマンスを制作するようになったのでしょうか。
佐藤朋子(以下、佐藤):学部時代は東京藝術大学の先端芸術表現学科に通っていたんですけど、実はその前に一般大学に4年間通っていました。在学中にノルウェーに留学してたまたま受けた精神分析の授業で取り上げられていたシュルレアリスムが面白くて美術館にも見に行くようになって、そこでさらにコンテンポラリーアートにも出会いました。
美術にしろ演劇にしろ芸術というものに20歳過ぎてはじめて本格的に触れるようになって、芸術を通して何か考えたりディスカッションしたりシェアしたりすることがすごいなと思ったんです。それで、しっかり勉強するんだったらもう1回大学に入り直した方がいいかなと思い、留学から帰ってきて勉強をはじめました。
その時はとにかく芸術を学びたいという気持ちだけで、アーティストになるなんて考えていませんでした。入学した先端芸術表現学科は特定の枠組みにあてはまらない表現を扱う学科でなんでもやるみたいなところなんですけど。私は全部うまくいかなくて……(笑) それでもう私は作る方じゃないんだろうなと思ってたんです。
でも、卒業制作のときに青森出身の祖母の話をたまたま聞いたら、青森空襲から話がはじまって、そのことを自分が知らなかったことが衝撃で。祖母の話を自分の身体でもう一度掘り起こしたり再引用したりしたいと思ったんです。そのときは、それをリ・サイテイション(re-citaition)と呼んでいました。最初はリサーチの過程で私が出会ったモノを置いたり、祖母に変なインタビューをしたりということを試していたんですけど、最終的にはインスタレーションのなかでパフォーマンスをするというかたちになった。そういうかたちでないと、伝わらないと思ったんです。
— その時点ではもう作る側でやっていこうと思っていましたか?
佐藤:学部の卒業制作の時点では、自分が作家としてやっていけるみたいな感覚は全然ありませんでした。でも、作ることで私自身が一番学べるんですよね。祖母のこと、青森のこと、さらにその周辺の世界のことも。学べば学ぶほど謎は深まってくるんですけど、それを制作と呼んでいいんだったらすごく面白い、それは続けたいと思ったんです。
時間を扱う芸術についてもっと考えたいと思って、大学院は映像研究科のメディア映像専攻に進学しました。
映像研究科は課題も演習もすごくいっぱいあって、初めの半年間はもう大学から帰れないくらい。修行できる場所でした。メディア映像専攻は当時一学年13人しかいなくて、先生として指導教授だった高山明さんをはじめ、桂英史さん、桐山孝司さん、佐藤雅彦さん、畠山直哉さんがいらっしゃったので、講評会も毎回その先生方にみっちりと。密度の高い2年間でした。
現代の“語り”としてのレクチャーパフォーマンス
佐藤:修士課程に入って『しろきつね』のプロジェクトに取り組むようになってからも、展示としてモノを置いて、それらに語ってもらうということを試していたんですが、それはなかなかうまくいきませんでした。
リサーチをしてきた自分はそこに面白いものがあると思っていても、面白いと思うことには、個人的なことや、リサーチにいった場所とか状況も関係していて、私のやり方ではその文脈も含めて提示することがうまくできなかった。同級生にも、普段の会話でリサーチのことを喋ってるときの方が面白いよと言われてしまって、だったらモノを提示する人間としてその背景を喋らなくてはと思ったんです。
— 佐藤さんの作品では、ある一つのモチーフについての”語り”から複数の物語が紡がれていくところが印象的です。
佐藤:リサーチをしているときは時間の流れは一つなんですよね。私は長野出身なんですけど、おじいちゃんおばあちゃんから、昔は狐につままれる人がいたという話を聞いて、それって何なんだろうと思って調べるところから『しろきつね』は始まりました。狐について広く知られている物語ってあるのかなと思って調べたら「信太妻」に出会って、そこから岡倉天心がオペラをやっていたという話にもつながっていく。私のなかではそういう物語みたいなものがあって、そのつながりは歴史でもあると思うんです。
— 特定の土地から着想を得ることが多いのでしょうか?
佐藤:もともと個人的にゆかりのあった青森と長野以外は、たまたま縁があって、そこでやってみたいと思えたから制作することになったんですけど、いずれにせよ、接点が見出せないあいだは作れないので、どこに行ってもけっこう長く滞在しています。横浜で作った『103系統のケンタウロス』も、黄金町で滞在制作をする機会がまずあって、せっかくだから黄金町周辺について調べてみようというところからはじまりました。まずは体が実際にその場所にある、というところから制作がはじまることが多いです。
— リサーチの成果をレクチャーパフォーマンスとして語ることは、佐藤さんにとってどのような行為なんでしょうか?
佐藤:『しろきつね』のリサーチをしていて、いろんな民話や説教節と出会いました。説教節は、語る人が道端にゴザを引いて傘を差したらもうそこが舞台になって、人が集まって聞いてくれるというものなんですね。しかも、そこで語られた物語は宗教者だけではなく芸人にも語られるようになり、他の人が脈々と語り継いできた物語を、語る人が自分のバージョンに変えて話すので、立場や身分、地域によってもバージョンが違ったりするんですけど、それがすごく面白い。民話も、もともとある物語が語り継がれるなかで、語り手の周囲のゴシップ的なものや悲劇的な出来事、語りづらいことが織り交ぜられていったりするんです。
一方で、物語とか歴史というものは、人の一生よりもっと大きい時間の流れのなかにある。たとえば『しろきつね』のモチーフになった「信太妻」は中世からあるといわれている物語で、バージョンも膨大にあります。だから大きな流れのなかで私はたまたまその物語に出会って、たまたま今この場にいるからこうして話しているだけだと思っているんです。そういう意味で語り手は誰でもよくて、ただ、すでにある物語のなかから、語り手がいま何を他の人とシェアしたいと思うかが大事なんだと思います。
ロバート・モリスのパフォーマンスで、美術史家の講義音声を流して、口パクでそれを真似して喋る『21.3』(1964 年)というものがあります。レクチャーの権威性を解体するパフォーマンスの例として取り上げられることが多いんですけど、私はむしろ、モリスはレクチャーを自分の身体でなぞりたかったのかなと思ったんですよね。説教節や民話を語る人たちも、自分が語って反復して、その場で感じたり共有したりすることによって、また物語のなかに新しいことを見つけたりしていたと思うんです。私自身、仮説のように作った物語を話しながら、それを観客とシェアすることで一緒に考えているところがある。そういうものとしてレクチャーパフォーマンスを捉えています。
— “その場でパフォーマンスをすること”自体が意味を持つということですね。
佐藤:私はあがり症で、緊張するしセリフも覚えられないので、パフォーマンスは紙に印刷した言葉を読み上げるかたちでやっています。自分で出るんじゃなくて俳優にやってもらったら?と言われたこともあって、そこは悩んでいたんですけど、最近はそれでもいいのかもしれないと思うようになりました。
ステージに上がるのにいい体って、きちんと声が出せて、言葉に説得力があって、存在感がある、みたいな体だと思うんですけど、人間にはそうじゃないときもいっぱいある。私はあがり症なので、ステージに立つと自動的に「そうじゃない」状態になってしまうんです。以前はもうちょっとがんばってハキハキしゃべろうとか思っていたんですけど、最近はそうやって自分の状態に嘘をつくのをやめて、緊張してダメダメな状態でもステージにいるということをむしろやっていこうと思うようになりました。
レクチャーパフォーマンスというのは、言葉で誰かに何かを伝えるということを誰もができる形式だと思うんです。聞く側も、椅子に座って人の話を聞くんだな、という鑑賞姿勢になるからから誰でも聞くことができる。すごく間口が広い。そういう意味で、民話みたいにベーシックなかたちで物語を伝えることの現代版がレクチャーパフォーマンスなんだと思います。
人間からずれたところから世界を見る
— 最後に、今後の活動について教えてください。
佐藤:『しろきつね』はこれまでに3回上演する機会があったんですけど、やるたびに少しずつ作り直していて、最初は20分くらいだったのが今は40分くらいになっています。ある対象に向き合うプロジェクトがずっとあって、最近はレクチャーパフォーマンスの上演はプロジェクトのその時点での経過報告みたいなものだと思うようになりました。そうすると、作品の完成形態を逆に考えなければならないとも思ってるんですけど……。そういう意味では、これまでにやってきた全てのプロジェクトが継続中なんです。
具体的な活動としては、2018-2019年に横浜で作った『103系統のケンタウロス』という作品のリクリエーションに取り組んでいます。U39アーティスト・フェローシップ助成は期間も1年間と長く、取り組みの自由度も高いので、この機会に自分ひとりで取り組むのではないやり方でゆっくり考えていきたいと思って、共同制作のかたちでリクリエーションに取り組んでいます。
改めてリサーチしてみたら、馬が持っている豊かさみたいなものが当時よりもよく見えてきて、でもそれを私ひとりでは十分に伝えられないと思ったのと、プロジェクト自体をプラットフォームみたいなかたちにしたいと思って、共同制作のかたちで進めることにしました。最初は秋田在住のアーティストの迎英里子さんと一緒にやる予定だったんですけど、今はもうちょっと広がって文化人類学者の鈴木和歌奈さんにリサーチに入っていただいたり、映像の方が入ったり、作曲家の方と歌を作ったりもしていく予定で、2022年度中には公演として提示したいと思っています。
2月末にはシアターコモンズで『オバケ東京のためのインデックス』の第一章を上演します。2021年に上演した序章の続編で、恵比寿映像祭では序章を映像インスタレーションとして再構成したものも展示します。コロナ禍の影響で中止になってしまった2021年の豊岡演劇祭で上演予定だった『TWO FEMALES ー ツル/アンティゴネ』のプロジェクトも継続しています。これはコウノトリと鶴についてのリサーチに基づく作品ですね。
狐と馬と鶴というモチーフは別々に出てきたものなんですけど、動物シリーズとしてまとめて考え直したいという気持ちがあります。特にコロナ禍に入ってから、人間が世界をどうにかしようとすることの無理さも見えてきてしまって、人間だけの歴史だけを見ているのに違和感を覚えるようになりました。私自身、高校生の頃に漠然とアメリカに憧れる気持ちがあって行ってみたいと思っていたんですけど、それは明治維新を経て急激に西洋化していった日本の歴史とも無関係ではないと思うんです。狐も馬も鶴も明治以降すごく減ってしまっていて、そういう日本の近代化の歴史にものすごく影響を受けています。でも、動物の側から見るとそこにはまた違うものが見えてくることがある。オバケもそうですけど、人間からちょっとずれたところから視点を借りて、もう1回歴史や、今現在について見ていきたいと思っています。
取材・文:山﨑健太
写真:大野隆介(注釈の無いもの)
【プロフィール】
佐藤 朋子(さとう・ともこ)
1990年長野県生まれ、神奈川県在住。2018年東京藝術大学大学院映像研究科メディア映像専攻修了。レクチャーの形式を用いた「語り」の芸術実践を行っている。主な作品に、『しろきつね、隠された歌』(2018)、『瓦礫と塔』『ふたりの円谷』(Port B 東京修学旅行プロジェクトにて上演、2018–19)、『103系統のケンタウロス』(2018)、『MINE EXPOSURES』(2019)、『TWO PRIVATE ROOMS – 往復朗読』(⻘柳菜摘との共同企画、2020-)、『Museum』(2019)、『オバケ東京のためのインデックス』(2021-)。
tomokosato.info
【インフォメーション】
多層世界の歩き方
日時:2022年1月15日(土)~2月27日(日)
リアル会場:NTTインターコミュニケーション・センター [ICC]
ギャラリーA,ハイパーICC
詳細:https://hyper.ntticc.or.jp/random-walk/
第14回恵比寿映像祭
「スペクタクル後 AFTER THE SPECTACLE」
日時:2022年2月4日(金)~2月20日(日)
会場:東京都写真美術館、恵比寿ガーデンプレイス センター広場、地域連携各所ほか
詳細:https://www.yebizo.com/jp/information
シアターコモンズ’22
日時:2022年2月19日(金)~2月27日(日)
会場:東京都港区エリア各所およびオンライン
詳細:https://theatercommons.tokyo/
からの記事と詳細 ( 世界を知るために制作する ――アーティスト・佐藤朋子さん - 創造都市横浜 )
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