
東日本大震災で多くの職員が犠牲になった岩手県大槌町は、職員の行動や町の対応を検証した報告書をホームページで公開した。津波襲来の危険性を訴える職員が何人もいたが、町は避難を判断するための情報を集約せず、被害を拡大させたと指摘している。10年半前の震災では、多くの自治体職員が犠牲になった。その原因を自治体自らが検証したのは異例だ。(盛岡支局 宍戸将樹、押田健太)
町役場周辺は高さ10メートルを超える津波に襲われ、市街地は壊滅、町は全職員の3割にあたる40人を失った。 報告書は、無事だった職員の証言などから、地震発生の2011年3月11日午後2時46分から翌12日朝までの職員の行動を時系列で再現した。遺族の了解を得られた加藤宏暉町長(当時)ら犠牲者38人については、最後の目撃場所を時刻とともに地図に示した。
職員や町民ら56人の聞き取りは元専門紙記者が行い、町の対応を学識経験者5人が分析した。
報告書によると、築57年の庁舎は倒壊の可能性があり、災害対策本部は庁舎前に置かれた。当時、庁舎には約50人がいた。
「逃げたほうがいいんじゃないか」という声が上がる中、総務課員らは長机を並べた。駐車場では、職員が携帯電話のワンセグ放送やカーラジオで、隣の釜石市への津波到達を知り、庁舎2階の加藤町長や周囲に伝えていた。
町の防災計画では、庁舎が使用できなくなる恐れがある場合、災害対策本部を「城山」と呼ばれる高台の公民館に設置することになっていた。しかし、話し合いはなかった。
「このままいては、やばいんじゃないか」。職員に問われた澤舘純一総務課長(当時)の「城山、移動!」「もうやめ、城山行くぞ!」という声が聞こえたのは、消防署が防災行政無線で2度目の避難を呼びかけた午後3時20分頃。直後に津波が黄色い土煙を上げながら、庁舎に迫って来た。
職員らは一斉に庁舎に駆け込んだ。2階から屋上のはしごを上るなどして逃げられたのは、21人だった。
報告書は被害拡大の要因として、▽災害対策本部を移設する具体的な基準がなかった▽職員はラジオなどで津波の情報を得ていたが、組織的に集約し、避難に結びつけられなかった▽過去の津波浸水域に庁舎があった――など6点を挙げた。
東京女子大の広瀬弘忠名誉教授は報告書で、「役場という組織では、個人が危険と思っても避難するのは心理的に相当ハードルが高い。住民の命を守るというプレッシャーの下では、そうした傾向は顕著になる」と分析した。
町は13、16年度に報告書を作成していたが、遺族から「家族の最期を知りたい」と要望を受け、一人一人の行動を詳細に検証した。要望した一人、小笠原人志さん(69)は長女の裕香さん(当時26歳)が出先から公用車で役場へ戻る途中、津波に巻き込まれた。報告書について、「内容的に物足りないところもあるが、町が責任を持って調査したことは評価できる」と話す。
岩手大の越野修三客員教授は「当時のことを語りたがらない職員が多いなか、調査を続け、課題を浮かび上がらせた意義は大きい。他の自治体は教訓とすべきだ」と指摘する。
からの記事と詳細 ( 「津波情報、避難につながらず」…職員40人犠牲の岩手・大槌町が対応検証 - 読売新聞 )
https://ift.tt/3C38fBW
No comments:
Post a Comment