YUKIが2年2カ月振りとなるのニューアルバム『Terminal』を4月28日にリリースした。過去、さまざまなアーティストとのコラボレーションによって作品を作り上げてきた彼女だが、そのスタンスは今作にも引き継がれているようで、今回は奥野真哉(ソウル・フラワー・ユニオン)、今井了介、LASTorder等、初顔合わせもあるとのこと。“YUKIワールド”はさらなる広がりを見せているようだ。当コラムではその原点とも言えるデビュー作『PRISMIC』を紹介する。
やはりデビュー作にはすべてがある
この『PRISMIC』に関してあれこれ書こうと準備しながら、“このアルバムにもまた“デビュー作にはそのアーティストの全てがある”という説が当てはまるかもしれん…。って、その説は誰が提唱したんだっけな?”と、勢いでググってみたら、藤井フミヤのデビュー作『エンジェル』を紹介した当コラムが上位に来てちょっとびっくりした。調べてみたら、そもそも“デビュー作には…”なんてフレーズはなく、“処女作には、その作家の全てが表れる”が原文に近いもののようで(?)、それは文筆家を指して使用されるものだということが分かった。あと、誰が最初に言ったのかははっきりとしないらしいということも分かった。にもかかわらず、それを音楽に引用した己の適当さを今になって恥じるところではあるけれども、その一昨年の拙文を読み返してみて、とはいえ、そう的外れでもないことを書いているとも思ったので、掟破りにも引用してみようと思う。以下の[]が引用である。 [“デビュー作にはそのアーティストの全てがある”とはよく聞く話で、アルバム毎に音楽性を変化させたと指摘されるThe BeatlesにしてもDavid Bowieにしてもそれは当てはまるようだ。(中略)バンドから離れてソロ活動に転じた時のデビューアルバムとなると、さらにそのアーティストの方向性が明確に出ると思う。それもまたThe Beatlesを例に取るのが分かりやすいだろう。John Lennonは自らの人間性を露呈し、Paul McCartneyはメロディーメーカーとしての職人的資質を推し進めたと言われている]。 ――以下、CAROLと矢沢永吉、BOØWYと氷室京介・布袋寅泰、そのコラムの主題である藤井フミヤの話と続いていくのだが、ここでの本題はYUKIの『PRISMIC』なので、話をそちらへシフトする(もし少しでもご興味を持っていただけたなら先のコラムもお読みいただければ幸いである)。 上記拙文にて指摘したことが『PRISMIC』にも当てはまるように思う。本作を意識してちゃんと聴いたのはたぶん今回が初めてではあるが、彼女がソロアーティストになったことを生々しく描写したというか、暴露にも近いドキュメンタリー作品であるようにも感じた。 筆者のようなJUDY AND MARYを聴き続けて来なかった輩でも、明らかにバンドと違うことをやろうとしていることがありありと分かるし、そればかりか、少し乱暴に言うならば、過渡期であることをある意味で開き直っているかのような感触さえある。誤解を恐れずに言えば、少し取っ散らかっていると言っていいと思うし、それを理解しつつも整合性を図ろうとしていない気配もする。どこまで自覚的だったか分からないけれど、収録曲がバラエティーに富むことによって、シンガーとしてのポテンシャルが浮き彫りになることを感じ取っていたのかもしれない。 本稿作成にあたってYUKI作品を全て聴くことは適わなかったので、以下はほぼ伝聞となってしまっていることをご容赦いただきたいが、2ndアルバム以降は、ポップさが前面に出たり、ダンサブルになったり、メッセージ性が強くなったりと、作品毎の変化はあったそうだが、近作9thアルバム『forme』では様々なアーティストから楽曲提供を受けるスタイルとなったと聞く。 こうした傾向をとらえても、彼女は自身のシンガーとしての方向性を模索しながら作品を作り続けてきたことが想像できるし、20年近く経って原点回帰したとも考えられる。その意味で、『PRISMIC』はアーティストの全てがあるデビュー作だったと言ってもいいのではないだろうか。手前みそながら、そう思う。
からの記事と詳細 ( YUKIの堂々たるソロ宣言!実力派アーティストたちと共に作り上げた『PRISMIC』(OKMusic) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース )
https://ift.tt/3xxVPAy
No comments:
Post a Comment